『追憶』







(2)


2日後。
柔らかい日差しの中、ココは催眠効果のある香炉の蓋を閉めた。

(トリコが帰るまでこのまま寝かせておきたいけれど…そういうわけにもいかないよな…)

小松を起こすのは天気の良い朝だと決めていた。
朝は“始まり”の象徴だ。「明けない夜は無い」…誰かの言葉か、何かの小説の一文だったかがココの頭をよぎった。

窓を開けて部屋の空気を入れ替える。
サイドテーブルには、暖かく胃に優しいスープ、諸々の薬品、香りの良い花など、必要なものもそうでないものも、すべてが揃えられていた。
小松が目覚めるまで、この場を離れまい――ココはそう決めていた。
誰もいない空間で小松の目が覚める、などということがあってはならないのだ。

「…ん…」

小松の瞼が小さく動く。
幾日も小松を見てきたココだったが、心の準備なんてものは何の役にも立たなかった。
四天王の肩書きが空しく思える。
スローモーションのようにゆっくりと小松の瞳が開けられた。

「……」

見慣れない天井に違和を感じたのか、まだ意識が戻らないのか、小松の目は一点を捉えたまま動かなかった。

「…小松くん?」

可能な限り優しく、ココは囁いた。のそりと上半身を起こす小松の目に生気が宿る。

「ココ…さん?あれ…ぼく…」
「ここはボクの家だよ。ああ、まだ起きなくていいよ。お腹は減ってないかい?」
「え…と、減ってるような減ってないような……。…ココさん、トリコさんは…?ぼく、森でトリコさんと逸れてしまって…」

願わくば。
シラズの実など必要ないくらい記憶などなくなっていれば良いと思っていた。
しかし小松の顔色はたちまち悪くなり、肩が震えだす。

「…っ!ぼく…は…ッ!」
「小松くん!」

とっさに小松を抱きしめた。自分から他人に触れるなんて、毒人間になってからは初めての事だった。
小さな身体はすっぽりとココの胸の中に納まった。
少しでも力を込めたら壊れてしまうだろう。
腕の中では、小松が力の入らない腕で必死に抵抗する。

「――ぁアァ…ッ!!ぃやだ…嫌だぁ…っ!」

小松に触れていいものか、ココは悩んでいた。
人の温かさは、今の小松にとっては悪夢を呼び覚ます凶器になるかもしれないからだ。

「もう大丈夫だから!もう大丈夫なんだよ、小松くん!」

それでも腕を緩めることは出来なかった。
ココは洞窟の砂浜で小松の暖かさに救われた。
同じように小松を暖かさで救いたかった。

「離して!…離して下さい!ココさん…ぼくに触らない…で…っ!」
「…!」

人に拒絶されるのは慣れていた。

(でもキミだけには言われたくなかったよ…その言葉は…)

触れれば汚れる、毒人間の自分を受け入れてくれる人がいるなんて、所詮夢だったのか――。
ココが腕を緩めるのと同時に、小松が呟いた。

「ぼくは…汚いから…ココさんはぼくになんか触れたらダメだ…っ」

解きかけた腕に再び力を込める。

「ココさん?!」
「…汚くなんかない」

こんな時でさえ、小松は自分の事を想ってくれる――。ココは小松を少しでも疑った事を恥じ、もう一度きつく抱きしめた。

しかし小松の胸には悲みが広がっていた。

(ああ、やっぱりココさんはぼくに何があったか解ってるんだ…)

知られたくなかった。凄腕の占者であるココに隠し事などできないと解っていても、知られたくなかった。

「小松くんは、汚くなんかないから」

そう言ってココは右手だけを緩めた。
それは小松を離すためではなく、閉じた香炉の蓋を再び開けるためだった。







続く