小説
『理由』







「すみません、明日どうしても外せない仕事が入ってハントに行けなくなってしまいました…また誘ってください」
電話の向こうの小松は本当に申し訳なさそうだ。
今回のハントは子持ちの蟹だった。産卵日が決まっている種のため、出発を延ばすわけにはいかなかった。
どうにかならないのか?と食い下がってみるがシェフ指名のIGOの会合とあっては無理させるわけにもいかず、また今度な、と明るい声で電話を切った。
ハントの誘いが断られるのは初めてではなかった。
だが、3回連続で断られたのは初めてだ。
以前はほとんど断られた事は無かった。
仕事を休み過ぎてレストランを首になるのではないかと心配してしまう程、小松はトリコのハントについて来ていた。
ハント後ホテルグルメで食事をした時に梅田に聞けば、貯まりに貯まっていた有給休暇を使っているのだと言っていた。
料理長がやっと有給休暇を取ってくれて助かった、労働法絡みの事だけではなく、これで小松の下の人間が休みを申請してくれる、とヨハネスが隣で笑っていた。
なんだ、そんな事だったのか、なら遠慮なく誘わせて貰う――とハントに誘いまくり、そのまま思うに任せて告白して肉体関係まで持っていったところで、有給休暇の残りが終わったらしい。
「またダメだとよ」
足元で横たわるっているテリーに声を掛ける。
賢い狼は、主の膝に頭をこすりつけて慰めた。
名前の元になった触り心地はいつでも優しくトリコの無骨な手を迎え入れた。
「テリーも寂しいか?前に会ったの1ヶ月も前だもんな」
電話で聞く小松のスケジュールに、日帰りのハントなら大丈夫かな?とも思う。だがそんなレベルのハントは四天王への依頼にならないし、そもそも自分が盛り上がらない。
「つまんねーな」
テリーと過ごすようになって、独り言が増えたな、とトリコは思う。
ある程度の人語を解するテリーには悪いが、今夜は愚痴に付き合って貰おう。
酒蔵から強めの酒を選んで篭城を決め込む。つまみだのを用意するのも面倒臭い。


日付も変わろうという時刻になってテリーが外に出て行った。
愚痴を聞かせ過ぎたか、と反省するが、飲むのはやめない。
朝まで飲むと決めた頃、ドアの外に気配を感じた。
旨そうな匂いと…ひと月ぶりの匂い。さっきまではしなかった筈の匂いが突然現れたのはテリーに運ばれて来たからか。
「小松!」
確信を持ってドアを開ければ、小松は今まさにノックをしようとしていたところだった。
「こ、こんばんは、トリコさん」
駅のタクシー乗り場に着いたらテリーが目の前に居たらしい。
寒かったので助かりました、と言い終わる前に小松はトリコの腕に抱かれた。
「トリ――」
「会いたかった」
少し弱気な台詞は強い酒のせいにしておこう。
「お酒の匂いが凄いですよ。明日早いんでしょう?」
「お前が朝起こしてくれるんだろ?――今夜は勘弁してやるからよ…。でもまぁ、明日以降は保障しないけどな!」
「…何言ってるんですか?ハントは行けないって言ったじゃないですか。明日は仕事です」
「へ?」
淡々とした物言いに、抱きしめた手を緩めて小松を見据える。
「じゃ、じゃあ何でお前」
「お弁当を作って来たんです。一緒に行けないので、せめてお弁当だけでもと思って」
そういえば玄関で旨そうな匂いがしていた。見ればテリーの背中には大量の弁当袋が乗っている。タクシーを拾おうとしていたのはこのためか。
「――んだよ…」
「ごめんなさい、でも」
小松は大きすぎる身体に、腕を伸ばして抱きついてきた。
「ボクも、会いたかったです」
仕事帰りの小松の匂いは一日の仕事の量を物語る。
更に自分のための弁当を作り、この家まで運んできた、となれば小松の疲労はどれほどのものだろう。
それでも我が儘を言いたい。だってそれが恋人ってものだろう?
「悪いが朝まで帰すつもりはない。…いいか?」
「…帰りはテリーで送って下さいね」
どちらかともなく顔が近づいて、唇が重なり口内を貪り合う。小松の身体から力が抜ける頃には寝室に着いていた。
「ハント、一緒に行けなくてごめんなさい」
「一緒にイこうぜ」
「食材を調理するのもできなくて…」
「お前を貪り喰うから構わない」
「…下品ですよ、トリコさん」
「これからもっと凄いコトするのに今更何だ?」
「ト…!」
「好きだ」
小松にだけの言葉で黙らせれば、あとはもう、言葉はいらなかった。





「ありえない…」
朝もやの中、自宅前で小松が小さな肩を落とす。
トリコの家から小松のアパートまで、テリーの足で20分程の道のりだった。
空が白む頃、やっと解放された小松は、その僅かな時間を睡眠に充てた。
その僅かな時間で弁当が空になったのだ。
「旨かったぜ」
成長したテリーにとって小松とトリコ、そして弁当袋を運ぶ事など造作もない。が、トリコは超高速で移動する獣の背中の上で、眠る小松を抱えたまま一抱えはあろう弁当を食べつくしたのだ。
「昼メシが朝メシになっただけだろ」
「そりゃそうですけど…」
「弁当箱返す手間も省けたじゃねぇか」
「…」
恨みがましい目で見つめられるが、それがどうした。美味い飯の感想がすぐ聞けたんだ、小松だって嬉しくない筈がない。
「トリコさんの、馬鹿」
「?」
「弁当箱を返しに来て欲しかったのに…」
「…あっ」
小松に会う口実を、自らひとつ潰してしまったのだと気が付いた時にはもう、小松は自宅の扉の内側に居た。
「送ってくれてありがとうございました。…ハント、気をつけてくださいね」
閉じられそうな扉を指一本で防ぎ、腕を掴んで引き寄せると、目尻に涙を溜めた小松に口付ける。
「…!」
「言ってらっしゃいのチュー、な」
「トリコ、さん…」
「また来る。弁当箱だの理由はいらねぇ。会いたいから会う。それだけだ」
「…はい」
休みが合わないだけでひと月も会いに行かなかったのは誰だ、と自問する。
「小松も、遠慮なく俺を呼びつけろよ。…溜まってたんだろ?」
耳元で囁いていたのが災いしたのか、火花が散るほどの平手を顔面に食らってしまった。
火花のチラつきが消えた頃には、今度こそ扉が閉まっていた。
「ま、いいか」
出がけの際の、東洋の国の古いまじないだと割り切って、アパートの階段を下りる。
迎えるテリーのあきれた顔は、小松への同情か、今まで愚痴に付き合わされた事への不満だろうか。
扉の向こうに未だ残る小松の匂いに見送られて、ご機嫌なトリコはアパートを後にした。



end
2009/04/28


カウンター1万越えのリクエスト『トリコマイチャイチャ』です。
…どこがイチャイチャ?とか言われても仕方ないかもしれません…。
相思相愛モノに慣れてない私ですが、精一杯のラブをつめこみました(^^)
遅くなって申し訳ありませんでした。