小説
『跪いて口づけを』






「ひゃあッ?!」
小松が素っ頓狂な声を上げたのは、ハント先の森の入口だった。
「おいおい、まだ500mも進んでないぞ小松」
「特に怪しい電磁波は感じないけどなぁ」
「こんな段階じゃヘアで吊ってなんかやらねーぜ?」
美食屋四天王(−1)が微笑ましく小松に話し掛ける。
珍しい4人でのハントは、半分はピクニックだった。
といっても、捕獲レベルはそれなりのもので、美食屋ひとりでは苦戦もあるかもしれない食材。だが、四天王3人がかりならピクニック感覚なのだ。
「で、どうしたの?小松くん」
「…鳥の…糞みたいなのが…頭に…」
3人は豪快に、押し殺すように、笑みを含めた、それぞれ三様のパターンで吹き出した。
「なんで松なんだよ」
「こん中じゃ一番背が低いってのにな」
「表面積ならサニーに当たってもおかしくないのにね」
涙目の小松が後頭部に手をやる。
「うう…ベタベタする…」
「タオルはリュックの中?出してあげるよ」
「…待てココ」
鼻を鳴らしたトリコの声は真剣で、空気が張り付くのを感じる。
「トリコ、さん?」
「――天空蜂の蜜だ」
「天空蜂?捕獲レベル41の?!」
ココの言う捕獲レベルに危険な生物がいるのかと小松は慌てるが、四天王は微動だにせず会話を続ける。思わず小松も動きを止めた。
「天空蜂の捕獲レベルが高いのは、希少なのもあるが、餌となる高山植物も希少ってのが大きい。ソイツだけでも捕獲レベルは25だ。」
「蜂自体はおとなしい」
「天空蜂を狙うのは人間だけじゃない。3000mクラスを飛ぶ天空蜂は鳥などの外敵も多い」
「だが、地上で天空蜂の蜜が手に入る方法がないわけじゃない」
「蜂が蜜を“落とした”場合だ」
「もちろん、ものすごい確率だよ。そもそも普通は蜜を落とさない。外敵に追われたとき、身体を軽くしようと、蜜を吐き捨てる場合のみだ」
「落下先なんか、予想がつかない。海に落ちる場合もあるし、人知れずどこかの屋根に落ちたり、色々だ。ましてやこんな森で枝葉に遮られずに落ちてくるなんて、天文学的確率だよ」
「別名『王の平伏』。その蜜を舐めるためなら一国の王であろうと地面に這いつくばることを厭わない」
「は、はぁ」
「つーわけで」
後頭部に鼻を近づけていたトリコが、舌を伸ばして小松の頭をぺろりと舐めた。
「ぎゃッ?!な、舐めたんですかトリコさん!」
「天空蜂の蜜を目の前にして口にしないなんて美食屋の名折れだぜ?」
「そ、そうですけど…」
髪を洗ったのは何時間前だったか、と必死に計算する小松を尻目に、トリコはサニーに目配せをした。
片眉を上げた次の瞬間、小松の上着が肌着ごと取り払われた。
「ひゃあっ!な、なんで?」
急激な体温の低下に、鳥肌が立つ。
「垂れた蜜が服に吸われるなんて冗談じゃないし」
サニーの触覚を総動員させたおかげで、蜜が布地につくことはなかった。
「よーし、じっとしてろよ」
言うが早いか、今度はサニーが首筋に舌を這わせる。
「ひ」
「…旨っ」
遠慮がなくなったのか、二人とも音を立てて後頭部から滴る蜜を舐め上げていく。
風呂に入ったとき、首の後ろをきちんと洗ったのだろうかと、小松は考える。そうでもしていないと、この現実離れした状況を客観的に想像してしまいそうで怖かった。
その思いを打ち砕いたのは、掌へのやわらかい感触だった。
「え…なっ?!」
そっと手を添えて、小松の手指を念入りに舐めていたのはココだった。
“べたべたする”と掌で触ったものを、舐めているのだ。
「だっ…ダメです、ココさん、汚いですから…!」
さすがに手はダメだと、引っ込めようとするが、ココに握られた手首はびくりともしなかった。
更には、掌を舐めていた唇が手の甲に回り、まるで求婚されているかのような形になる。身長差も手伝い、ココは跪いていた。
「――美味しいよ、小松くん」
涙を浮かべて混乱する瞳が、がくりと沈む。小松の膝が折れたのだ。
「あ…ぁあっ…だ、め…」
それはサニーの舌が肩甲骨の下に届いた瞬間だった。
「ここか」というサニーの小さな声は、自身の声に遮られて、小松の耳には届かなかった。
地面に付きそうな手はそっとココに捕らえられ、ココの肩に乗せられる。
「小松くんも、味見したいよね?」
後頭部の蜜をどうやって、と思う隙も与えず、小松の口内に甘い蜜の味が広がった。
「んう…」
ココに口付けられているのだ、と気付いたが、今までに感じたことのない美味が小松の思考を狂わせる。
後頭部を舐め続けるトリコの舌は、いつしか耳の後ろにまで届き、粘着質の音が小松の聴覚を刺激する。
「美味しい?小松くん」
ココの笑顔はあくまで優しい。
「は、はい…」
まどろむ瞳は、蜂蜜の味への感動だけではないだろう。
「そう、良かった」
ポーカーフェイスの笑顔を映した瞳の向こうでは、トリコがあきれた顔でココを見やっていた。
気配を察したサニーも、小松の身体から離れる。
「ごっそさん、松」
手には脱がされた小松の服があった。
やっと解放された小松は、無言のまま服を掴むと、森の奥に駆け出していった。
 
「…放っておいて、大丈夫か?」
「あの方向は危険な動物はいないから、大丈夫なんじゃない?サニーの触覚も追跡しているようだし」
「まーな」
「で、どう?小松くんの様子」
「聞くまでもないんじゃね?ココには視えてるだろうし、トリコは匂いでわかんだろ?」
「…」
「…」
「…」
暫くの後、各々の能力で何かを察知した三人が、小さく息を吐く。
「悪さが、過ぎたかな?」
「かといって、今更謝ると、余計にマズくね?」
「…多少大袈裟に謝っとくか。軽い感じで」
他に妥協案も思い浮かばないまま、小松の足音が近づいてくる。
必死に呼吸を整えようとしている様子が感じ取られ、ますます三人の罪悪感を強めた。
「…『王の平伏』とはよく言ったものだな」
 
“四天王”は各々腰を落として、甘い匂いの残る小松を神妙な気持ちで待つのだった。
 
 
(終わる)
 



影のテーマは「背中舐め」でした(^^)