小説
『幸福をあなたに』
 
 
 
 
 
 
「も…一回…いいですか…?」
荒い息で、小松はベッドの中でココにねだった。
「どうしたの小松くん?今日はやけに積極的だね…でも」
俯せの身体をひっくり返して、熟れ過ぎた胸の飾りをそっと摘む。
「…ッ!」
小松の眉間にシワが寄った。
「ね?もう痛いだけだろう?いくらボク達が明日休みでも、無理したら元も子もないよ」
「…」
それでも何か言いたげな小松の上半身を起こしてそっと抱きしめた。
「何かあったの?」
「…視ないで下さい」
「前にも言っただろう?小松くんのことを視たりなんかしないよ」
恋人となった今、小松のことは視なくなった。視ない幸せ、を感じることも知ったのもあるが、小松を視るのは自分にも関わってくる。占い師の宿命というか、どうしても主観や希望が入ってしまい、正確さに欠いてしまうのだ。
「先に身体を洗っておいで。ボクはその間にシーツを交換しておくから」
入浴を促すと、ココは手早くシーツの交換を済ませて、引き出しの中からタロットカードを取り出した。
並べたカードで視るのは、小松のことではなく、小松の回りのことだ。電磁波を直接視るわけではないので信頼性は欠けるが、少しだけ見えてきた。
(環境に変化?人間関係…か。小松くんの仕事に変化はない筈だから、新しい人が現れた…)
2枚のカードをめくっただけで、ココは思い当たり、カードを仕舞った。
(パティシエ、だ)


小松の休みの前夜は、ココがホテルグルメに顔を出すのが習慣になっていた。
移動時間を考えてという理由と、少しでも長く一緒にいたいという理由、そして一番の理由は小松の料理を食べるためだった。他にも、IGO直属のホテルグルメなら、屋上にキッスを待機させられるという理由もある。
その日最後の客になったココが、料理長をテーブルに呼ぶのも恒例だ。
「ボクのメインだけ、ソースが違う?」
「わかるんですか?」
「トリコほどではないけど、ボクの嗅覚でもそのくらいは感じられるよ」
「さすがです。はい、ココさんがいらした時間、このあたりは小雨が降ったと聞いたので、温かくなるようにスパイスの調合を変えました」
「さすが小松料理長だ」
「おだてても、もう今日は何も出ませんよ」
火も落としてしまいましたし、ね。とウインクする。
「ところで、このデザートは小松くんが?」
チョコレートソースの筋が僅かに残るだけの皿をココは指差す。
「あ、いえ。新しいパティシエが作ったんですが…何かありましたか?」
「ううん、とても美味しかったよ。パティシエでこれ程の塩の使い方をするひとに会ったのは初めてだから気になって。彼女に美味しかったと伝えておいてね」
「…女性だって…わかるんですか?」
「味じゃなくて盛り付け、かな?もちろん味だって素晴らしかったよ。彼女のデザートは…人を幸せにするデザートだ」
 
 
感想は本心からで、嫉妬させるために言ったわけではなかった。が、その時から小松の雰囲気が変わっていた、と思い出す。
(嫉妬…とは違うな)
小松の不安は自分自身に向けられたものだ。
ココの家とはいえ、独りの時間を作ってはならない、とココは小松のいるバスルームへ急いだ。
 
「コっ…ココさん?!」
慌てて湯舟の湯で顔を洗ったのは、泣いていた顔を見られたくなかったからだろう。目が少し赤い。
「…やっぱり、もう一回シてもいいかい?」
「え…あ、はい」
「君はシたかったのに…、ごめんね」
泣いた理由を自分のせいにすり替えさせて、ココは小松の顎に手をかけた。
「え…ここで、ですか」
「うん。終わった後また入るのも面倒だし…、して欲しいこともあるから」
「して欲しい…こと?」
「口でシてくれる?」
身体のことを考えて、というのと、もうひとつの理由からフェラをねだる。
(拒否しないのはわかってるんだ)
少しの罪悪感はすぐに興奮と快楽に流された。
 
 
 
数日後。
「さて、と」
ホテルの屋上に降り立ったココは、いつものようにレストランに向かった。
一部ガラス張りになっている厨房を覗く窓に立ち止まる。
忙しなく動き回る小柄な料理長。ココに気付く気配はない。
奥の区切られた一角に、女性を見つける。
「あの子がパティシエールか」
専用のブースで飴細工をする姿はとても凛々しく、先日のデザートを手がけた御仁だとすぐにわかった。
“料理長”
化粧っ気のないその唇が小松を呼ぶ。
皿の最終チェックをして貰いながら、その目は小松を見ていた。自信と、尊敬の眼差しの他に、デザートから感じた「幸せ」の眼差しが、ガラスの向こうからでも感じられる。
「――うん、今日来て正解だった」
ココの姿に気が付いたスタッフがココをいつもの指定席に案内した。
 
料理長の料理には、何も迷いがなかった。
迷いが見えたのは、デザートを運ぶ料理長の顔だった。
「こんばんは、ココさん」
テーブルに置かれたデザートは、繊細な飴細工が施されていた。
「今日の料理も素晴らしかったよ」
「…デザートがまだですよ?それとも…ココさんはこのデザートが食べる前から美味しいってわかるんですか?」
少しだけ俯きながら、小松が呟く。
が、すぐに頭を振って拳を握った。
「…ごめんなさい、今日はなんだかちょっと、余裕がなくて」
厨房に引き返そうとする小松をココが呼び止める。
「座って、小松くん」
小松がココの向かいに座るのは最後のコーヒーを届けた後と決まっていた。そう言う小松を引き止めて座らせる。ココは特に何かを話しはせずに、フォークでムースを覆う飴細工を崩していく。鈴の音のような音を立てて、ムースの上に飴細工の雨が降りかかった。
「オーロラ糖を混ぜた飴です。こんなに細かく散らせることが出来るパティシエールは、初めてです」
沈黙を破ったのは小松だった。
「素晴らしい人です。腕も素晴らしいですし、人柄も。あれだけの腕を持ちながら慢心せず、常に向上心を持ち続けています。ここに来る前は、本人の意思でわざわざ時間を作って美食屋に同行して生きた素材の数々を見てきたくらいなんです。美人なのに飾らず、気配りが出来ていつも明るい。彼女の指摘で厨房の動線を減らすことも出来たんですよ。まさに才色兼備です」
いつも考えていたのか、彼女を褒める言葉が次々に出てくる。だが声はどこか沈んでいる。
「ココさんの仰るとおり、彼女は周りの人間を幸せな気分にしてくれます」
「なのに君は浮かない顔だね」
「…ココさんだって、会えばきっと彼女を好きになる」
小松は俯いたまま首だけを横に向けて、小さく呟いた。
「…ごめんなさい、今日はココさんの家に行けません」
立ち上がる小松の腕をココが軽く掴む。
「…! 彼女を、呼んできます。デザートの感想は直接言ってあげてください」
「ここに呼ぶ必要はないけど、美味しかったと小松くんから彼女に伝えて欲しい」
小松の顔は泣きそうだった。腕を引いてココの手を振り解く。
「少々お待ち下さ――」「それと」
他人行儀な物言いをココが遮る。
「これとは別に、デザートを持ち帰りたいからそれも頼んでくれる?――勿論、小松くんの分も合わせて二人分、だよ」
強い眼差しで拒否はさせなかった。
小松は何かに耐えるように振り返り「かしこまりました」と厨房に向かった。
「…意地悪で言ったんじゃないけどなぁ」
ココは残りの飴を全て崩すと、クッキー部分で全て掬ってデザート皿を空にする。
「占いで出たんだ。このタイミングで呼びに行くのが一番いいんだ。全てが解決するよ、小松くん」
 
 
ココの家のテーブルの上には、ケーキがホールで置かれていた。トリコではないのだ。二人分にはいささか大きい。
「ほら、最高級の茶葉だよ、小松くん。今日のために採ってきたんだ」
「…ボクが来なかったらどうするつもりだったんですか」
「紅茶で乾杯ってのも変だね。食事は済んだけど、シャンパンでも開けようか?」
手際よくグラスを並べ、シャンパンの栓が抜かれる。小松の目の前でグラスの中が黄金の輝きに満たされていった。
「…わかってたんでしょ、彼女のこと」
「ではホテルグルメのパティシエールの結婚に、カンパーイ!」
「ココさんっ!」
困った顔のまま、渋々とグラスを合わせる。
捕獲レベルつきのシャンパンの輝きは、先ほどの彼女の笑顔には負けていた。
 
『小松料理長っ!聞いて下さい!私…ついにプロポーズされました!』
彼女の隣にいるのは、小松のすぐ下で働くチーフだった。
『…え?』
『社内恋愛なんて恥ずかしくて黙っていたんです…。でも料理長にまず報告したくて仕事が終わるのを待っていました。必ず彼女を幸せにします!それでですね…結婚式にぜひ出席して欲しいんですけど…』
直立不動のまま、顔を赤らめたチーフの横で彼女が満面の笑顔を湛えている。
『やっとちゃんとプロポーズしてくれたんですよ!私の誕生日の今日、言ってくれるのは前からわかっていたんですけどね☆ああ、私幸せです!この幸せを、これからもデザートに込めてお客様にお届けしていきたいです!』
 
「人を幸せにするデザート、かぁ」
半分に切り分けられたケーキが小松の目の前の皿に乗せられる。
「ボク達も幸せになろうね、小松くん」
「…ココさん、楽しそうですね」
「ふふ、ボクは楽しそうじゃなくて、幸せなんだよ?」
恨めしそうな小松の瞳の横に軽くキスをする。
「小松くん、ボクを惹き付けるのは、君の料理やセックスでなくてもいい。キミが『愛してる』をたくさんボクに言ってくれることだよ。」
先日の行為を彷彿させるセリフに、小松の顔が紅く火照る。
「ボクは愛した人に愛された記憶が少ないから効果覿面だよ」
照れ隠しのせいか、大き目に切ったケーキに小松が咽た。
「もちろん、美味しい料理や…エッチなキミも大歓迎だよ!」
「黙っていたお返しに、今日は普通のコトしかしませんっ!」
 
決して“しない”と言わない小松を愛しいと思いつつ、自分を惹き付けるために頑張る小松をもう見られないのが残念だと、ココは心の中でひとりごちた。